2020年頭のごあいさつ

 新しい年が明け、はや2週間が経とうとしています。2週間といえば、ひと月の約半分。「今年こそは!」と思っていることにまだ何も手をつけられていないのに、すでに2020年の24分の1が過ぎてしまったのか……などと考え始めたら、暗澹たる気分になってきましたので軌道修正。年始らしい話題とまいりましょう。
 お正月といえば、初詣のおみくじに始まり、今年の運勢をうらなうツールに何かと出会います。知人におしえてもらった下記もそのひとつ。

 似たようなゲームはちょこちょこ見かけますが、「2020年あなたが必要なもの」などと言われると、俄然興味がわいてきます。私が最初に見つけた3つの言葉は「信念、犬猫、楽器」。信念……そうだなぁ、日々のタスクにただただ追われているばかりではダメだよなぁ……わんちゃんネコちゃんでも飼って気分一新、生活に活を入れる方が良いのだろうか……久しぶりにピアノにでも触れてみるか……などと、さまざまなに内省が動きだすところが、たかがゲームされどゲーム、おもしろいですね。ちなみに、弊所代表にも試してもらったところ、見つけた言葉は「打率、人徳、鼓舞」。打率?人徳??鼓舞???

 本年もご利用者の方々のお力となれますよう、スタッフ一同誠心誠意つとめてまいりたく存じます。何卒よろしくお願い申し上げます。

紫蘇の一件

 今年の梅雨以上に梅雨らしい空気のなかに、一抹の夏の気配が混ざる日が出てきた。暑くなればなるほど、年々さっぱりとした食べ物に手が伸びるようになってきて、その筆頭格にいるのが私の場合、冷や奴。白葱を刻んで鰹節、どちらもたっぷり乗せる。ミョウガもいい。どちらかというと薬味を食べるために豆腐が存在しているというくらい、これでもかとたくさん乗せる。わしわしと薬味のかたまりを咀嚼しているとやがてそれにも飽きて、そこに紫蘇を加えたくなった。
 スーパーで売っている紫蘇はたいてい10枚くらいをひと束に売られている。10枚は多い。全部消費する前にだめにしてしまうのではないかと懸念がよぎる。ちょっとでいいんだけどな、ちょっとで、と思うとついスルーして縁遠くなってしまう。
 そんな折、実家の隣の佐藤さんのところで紫蘇が大量に自生していたのを思い出し、プランターに種を蒔けば芽が出てくるのではあるまいか、と思い至った。自家栽培なら「ちょっと」が実現できる。そう思って種を買ってきて、いそいそと種蒔きしたのが昨年のことだった。
 ところが、水遣りが上手くできず、枯らしてしまった。言い訳がてら付け加えておくと、昨年は日差しが鋭く、やはり紫蘇を枯らしたという知人の嘆きを、一応耳にしてはいた。馴れないことをしたからかな、とひとしきり肩を落とした後は、すっかり紫蘇のことは忘れていた。
 時は流れて約1年、面接室の外を眺めていた同僚から「これ、紫蘇だよね」と指摘を受ける(そう、自宅ではなくオフィスのベランダでの出来事なのである)。なんということだろう、紫蘇は人知れず復活していた。今年の雨量も幸いしたのかもしれない。
 というわけで、念願叶い、豆腐にぱらっと細く刻んだ紫蘇を乗せる。やはり薬味ばかりを頬張っていると、人間が何をせずとも生まれてきてくれる紫蘇の力強い生命力に思いを馳せずにはいられないし、面接室のすぐ外でそんなことが起きているというのも何というか縁起がいいし、ありがたいなあ、と紫蘇に対して頭を垂れるわけです。
(田中)

日本家族療法学会第36回大会に参加しました

先週、北星学園大学にて開催された日本家族療法学会の年次大会に参加し、スーパーヴァイザー研修を受けてきました。ベテランの先生方とお喋りをしていると、不思議なもので、文献を読むのとはまた違うかたちで視野が開ける感覚を覚えます。毎回のことながら、貴重な機会です。

(田中)

第38回日本心理臨床学会の自主シンポジウムに登壇しました

前回の投稿から随分間が空いてしまいました。申し訳ございません。

画像に含まれている可能性があるもの:1人、テーブル、室内

現在、心理臨床関係では日本最大の学会である日本心理臨床学会の第38回大会が横浜で開催されております。木曜日に自主シンポジウムでシンポジストを務めて参りました。不登校・ひきこもり臨床におけるブリーフセラピーの実践そして可能性についてディスカッションをいたしました。

(田中)

10年目のご挨拶

 久しぶりのブログ更新です。大変ご無沙汰をしてしまいました。
 さて、弊オフィスは2008年4月の開設から数えてちょうど10年になりました。色々なことがございましたが、今日まで運営を続けることができました。改めまして、皆様のご利用、ご協力に御礼申し上げます。ご利用者様お一人おひとりにフィットする臨床実践を目指して、カウンセリングにおける質の向上を大切にしようと努力してきたつもりですが、まだまだ道半ばです。この間、公認心理師法が成立し、日本における心理的支援のあり方は転換の時期を迎えようとしております。当オフィスでは、これからもエヴィデンス・ベースト・プラクティス(科学的に根拠のある臨床実践)を下地としつつ、先端的な研究動向に目配せをしながら、できるだけ効率的な支援ができるよう前向きに取り組んでいきたいと、気持ちを新たにしているところです。今後とも何卒よろしくお願いいたします。
                                    代表 田中 究

高橋規子先生の七回忌によせて

晩秋らしい、澄んだ空気とやわらかな日差しが心地よいここ数日です。オフィス近くの日本大通りや山下公園沿いのイチョウも、だんだんと美しい黄金色に染まり、通勤時や昼休みに目を楽しませてくれています。
根元には、かわいらしい実がコロコロと。通りかかるたび、拾いたくてムズムズします。でも、道ゆく人たちは見向きもしません。
あれは拾うと、何か問題があるのでしょうか。所有権が誰にあるとかなんとか?私の中では、落ちている銀杏といえば「早い者勝ちで拾うもの」というイメージなのですが……昭和?

閑話休題。
11月といえば、高橋規子先生の七回忌が近づいてきました。システムズアプローチを私に一から教え、鍛えてくださった、恩師です。2011年11月13日に、先生が47歳の若さで亡くなられてから、6年。もう6年なのか、まだ6年なのかよくわかりませんが、とにかく6年。

その頃、私はすでに高橋先生の研修会を一応「卒業」というかたちになっておりましたし、先生は私が頼らず、なるべく自力でやっていけるよう背中を押してくださっていましたから、先生に直接ご指導いただいたり、ご相談する機会も、少なくなっていました。それから、6年。
6年も経つと、あれこれさまざまに変わります。若手だからという言い訳に逃げられず、「中堅」と言われても拒めない世代になりました。経験したことのないお仕事をいただく機会も、増えました。学会の委員、シンポジストやコメンテーター、研修講師、等々等々。こんなやり方で良いのかと迷ったり、あれで良かったのかと悔やんだりも、しばしばです。
こんな時に、先生がいらっしゃったら。「先生に会いたいなあ」という思いが、胸をよぎります。6年前よりも今の方が、先生の不在を強く感じます。
まあ、なかなかに「濃ゆい」方でしたから、お会いしたらしたで「七面倒な話にもなるんじゃないの〜?」なんてツッコミが、各所から聞こえてきそうでもありますが(笑)

年次を経るということは、経験が積まれると同時に、「先生」を失っていくということでもあるのだと、あらためて思います。仕事を続けるかぎり、どんなにベテランになっても、迷い戸惑うことはなくならないでしょう。諸先輩方は「先生」の喪失と、どのように折り合ってこられたのか。あの方この方に、いつかうかがってみたいなあ……と、そんなことに想いが舞い飛ぶ頭の上は、霜月の深い深い青空です。

こんな時には、家族療法の偉大な先達、キーニーとその師「オルガ」に倣って、自分に問いかけてみましょうか。「もし高橋先生だったら、この状況をどんなふうに考える?」

(安江)

夏の学会ワークショップ

最高気温が30度を越えることはあっても、気候の肌ざわりはすっかり秋のそれですね。今年は7月くらいがとても夏らしい天候だった気がします。

丁度その頃から、7月から8月にかけて、2つの学会で大会ワークショップの講師をお任せいただきました。ひとつは日本ブリーフサイコセラピー学会で、「システムズアプローチ〈完全理解〉」と銘打っての5時間の研修。院生からベテランの方まで、20数名の方にご参加いただきました。

大会ワークショップを一人で担当するのは実は初めてのことで、5時間というのは長いようで短い。その間にアプローチの来歴に触れ、エッセンスを分かりやすく伝え、体験的にワークも入れて、なんてやっていると5時間はあっという間。少し盛り込みすぎたきらいはありますが、無事お役目を果たせたかなと思っております。

加えて、今回は特に「対人援助におけるシステムという視点」について、研修の準備プロセスでグレゴリー・ベイトソンの論文を読み直すことで、私自身新しく気づいたことが多々ありました。ベイトソンのエコロジー概念や数々のアフォリズムは謎めいてみえるので、どうしても雰囲気だけを味わうにとどまりがちです。そのあたりが幾つかクリアになったので、今後のワークショップや研修、授業の中に反映させていきたいと思っております。

もうひとつは、日本家族研究・家族療法学会つくば大会のワークショップで、「認定スーパーヴァイザー企画 スーパーヴィジョンの実際」。スーパーヴァイジーとスーパーヴァイザーがリフレクションを通じて日常のスーパーヴィジョンでは言えないことを言ってみましょう、という企画。今年度から認定スーパーヴァイザーを拝命している関係で講師の一人として参加することになり、期せずして先輩スーパーヴァイザーの謦咳に触れることに。そのコメントの深遠さたるや。特に福山和女先生のご意見は、たいへん印象に残った次第。感嘆致しました。

というように、2つのワークショップは講師にとって、とても得るものが多かったのですが、例によって観光はほぼなし。。場所は松山と筑波だったけど、駅と会場を往復したのみで、唯一、道後温泉は本館の前までは行けた。温泉に入る時間はなかったものの、初めてその雄姿を目にすることができたので、まあ良しとしますか。

(田中)

日本ブリーフサイコセラピー学会松山大会に参加しました

7月末、愛媛県松山市で行われた日本ブリーフサイコセラピー学会第27回大会に参加しました。ここ数年、時間の都合がつかず参加できなかったワークショップも、久しぶりに受講することができました。どの講座にしようかさんざん迷った末に選んだのは「ミルトン・エリクソン入門」。講師の津川秀夫先生(吉備国際大学)から、「タイトルに『入門』って書いてあったの、ちゃんと見た?(笑)」とつっこまれつつ、興味深く楽しく学ばせていただきました。

エリクソンと言えば催眠療法ですが、ワークショップのタイトルの通り、今回は「ミルトン・エリクソン」について学ぶことが主眼です。色盲、音痴、失読症、ポリオなど、さまざまな障害とともにあったエリクソンの生涯を紐解きながら、ユーティライゼーション、リソース、パターンといったエリクソンの治療における諸特徴が、いかにエリクソン「その人」と切り離せないものであるかを学びました。おそらく、エリクソンに限らず、技法や流派といったものはすべからく、それを学ぶ治療者その人という文脈と、切っても切り離せないものなのでしょう。いくら熱心に催眠療法を学んでも、誰も決してエリクソンと同じにはなれないこと然り。同じ◯◯療法を学んだ同士でも、互いのセラピーのありようはなぜか全然違うものになることもまた然り。

私にとって臨床活動は、何年続けても学習と挑戦と少しの達成感、それとは比べものにならないような、大きな自己否定のくり返しです。何かにつけて「なぜあの人のようにできないのだろう」と落ち込みがちですが、ちょっと見方を変えてみると、人生丸ごと含んだ「私」を活用したセラピーは、私にしかできない、ということでもあるのかもしれません。そんな勇気づけをエリクソンからもらいつつ、また今日からえっちらおっちら臨床の日々を、頑張っていこうと思います。

(安江)

雨粒が呼び覚ますもの

梅雨が明けたそうです。横浜は今年、あまり雨が降らなかったですね。
前記事の続きというわけではないのですが、自転車の話。

最近は自転車に乗る機会が以前より増え、そうすると雨対策はちょっとした懸案事項になる。大人になると、雨が降ったら傘を差す、というのがなんといっても簡便な方法で、実際、傘以外の雨具は持っていなかったし、傘が差せないほどの降水時でも傘にしがみつくしかなかった。

ところが、自転車に乗る時にはそういうわけにはいかないので、レインウェアを求めることになる。「雨が降って着るのが待ち遠しくなるくらい、お気に入りのウェアを探すといいですよ」ですって。店員さんはうまいことを言いますね。なるほど。

さて、少し前のこと。待望の雨の日がやってはきたが、溜息をもらし、しぶしぶ店員さんおすすめのウェアを着る(なかなか店員さんのような境地には達することができない)。そうして自転車を走らせていると、不思議な感覚を覚えた。なんというのか、子どもの時の感覚が甦ってきた感じ。これまで傘によって遮られていた、身体を雨粒が直接打ちつける、久しぶりの感触のせいでしょうか。傘を持ち合わせていなかったとか、近くに傘を売っている店がなかったとか、致し方なく雨を受ける場合もありますが、そういう時はずぶ濡れの不快な感触が先立つのでまた別な経験になる。

自転車を走らせながら、何かを思い出せそうで思い出すことはできずに目的地に到着。状態依存記憶という概念があるけれども、記憶を喚起するところまではいかなくて、「久しぶりの感覚」止まりだった。やはりといいますか、普段使わない感覚のモダリティを用いると意外な経験ができるものですね(感覚のモダリティというのはカウンセリングではとても大事なトピックです)。

次の雨が降った時、またこの感覚に遭遇できるだろうか。それを楽しみにすることができるくらいになると、店員さん並に一丁前といえそうなのですが。

自転車からカウンセリングへの「さざ波効果」

こんにちは。関内カウンセリングオフィスのカウンセラー、安江です。

自転車がやってきた!

ひと月ほど前、関内カウンセリングオフィスに、待望の自転車がやってきました。
折悪しく雨の季節になってしまいましたが、梅雨空の合間をぬって、ちょこちょこと乗っています。
銀行や、ちょっとしたおつかいなど、けっこう時間がかかっていた用事がスピーディーに済むようになり、助かっています。
横浜市というのは高低差の多い、自転車泣かせの都市ですが、オフィスがある日本大通りや関内近辺は平地なので、走るのも快適です。

自転車の「さざ波効果」

座っている時間が多いお仕事のため、十数分間の自転車漕ぎでもよい運動になります。身体がすっきりと、軽くなります。
気分転換にもなり、その日の後半のカウンセリングにも「よし、やるぞ!」と、より前向きな気持ちと集中力で、取り組めている気がします。

ブリーフセラピーの領域では、「さざ波効果(ripple effect)」ということが、よく言われます。
「ちょっとした変化が他にも波及し、多方面で良い変化が生じること」とでも言えばよいでしょうか。
自転車という、身近で意外なところから「さざ波効果」を感じる、今日このごろです。